寂しがり屋のうさぎさん

20代OL、大学中退、家出経験あり、そんな私の日々の奮闘記です♪

なんの取り柄もない自分は、社会から必要とされないの?

今日は、昔私が考えていたこのブログのタイトルに、今の私が返答する、という形で書いていきたいと思います。

 

少し前までの私は、

 

自分には社会が必要とするようなスキルがなにもない。

 

そんな自分はこれから、働いてお金を稼いで、生きていくことができるのか。

 

そんなふうに考えて、将来をとても不安に感じていました。

 

今でも、少しは不安に思うことはあります。

 

しかし、前とは違った考え方ができるようになりました。

 

それは、人は1人では生きていないということ。

 

仕事もあくまで人と人との関わりで、人はAIみたいに、なんの感情もなく、合理的で無機質ではないということ。

 

お金のため、利益のためだけではなく、この世界には、楽しみのために、喜びのために、仕事をしている人がいるということを。

 

目に見えるものだけが、価値のあるものではない。

 

TOEICの点数、資格、学歴、経歴、、、

 

このように目に見えるものは、わかりやすい。

 

しかし、目に見えないものこそが、本当に大切なのではないか。

 

星の王子さまの言葉のように、「大切なものは目に見えない」のだ。

 

どんな人生を生きてきたか、どのように人生の困難を乗り越えようとしてきたか、自分の心にどれだけ正直であるか、その人の信念は?

本質は?勇気は?優しさは?

 

仕事も遊びも、人生は、

 

人と人との関わり。

 

人は人を必要とする。

 

愛を必要とする。

 

今ある仕事のほとんどが機械に代わるとか聞いたことがあるけれど、

 

人はそれを望まないのではないか。

 

人間は、他の動物とは違って、ただ生きるために生きるのではなく、なんのために生きているのかと、考えることができる。

 

多くの人々が、幸せに生きていきたいと思っているのではないだろうか。

 

だとしたら、人は人を必要とするだろう。

 

効率的に、無駄をなくすことだけを人は求めないと思う。

 

なんだか、まとまりがない文章になってしまいました、、

 

読んでくださった方、なんとなく、私のこの拙い文章から、感じとっていただけたら幸いです、、苦笑

 

不安を感じることは悪いことではないけど、いい気分ではないと思うので、

 

あまり思い詰めすぎずに、考えすぎずに、もう少し肩の力を抜いて、生きていきたいな。

 

では、ここらへんで。

 

それから、このブログを始めて、ほとんど読者の方がいなかったのですが、最近本当に少しずつだけど、読んでくださってる方が増えて、とても嬉しいです。

 

ありがとうございます(о´∀`о)

 

 

 

 

 

長すぎた春、、🌸

みなさんは、「長すぎた春」という言葉を聞いたことがありますか?

 

私は最近知りました。

 

三島由紀夫の小説の題名からきているそうですが、交際期間の長い男女が、結婚に至らずに別れてしまうこと、だそうです。

 

なぜ、この言葉を知ったかというと、、

 

まさに、今私がそんな状況にあるからです、、。

 

長い春…

 

結婚って、人生の中でもとても大きな選択だと思います。

 

できれば後悔したくない。

 

だから、頭で考えて、こうした方が幸せになれるだろうってことと、自分の心の欲する方と、

迷ってしまう。

 

優しくて、面白くて、本当に気の合う親友みたいな彼。

 

一緒になったら幸せになれるかもしれない。

 

だけど、、

 

まだまだ私は、冒険してみたい。

 

いろんな人と出会って、いろんな世界がみたい。

 

知りたい。

 

知らない価値観を知りたい。

 

彼を手放すことは、すごく怖い。

 

心の支えで、心の一部で、私の一部になっているから。

 

だけど、それって依存しているのかもしれない。

 

手放すもなにも、もともと彼は私の手の中にはいない。

 

たぶんもう腹は決まっているんだろう。

 

今まで、胸が張り裂けそうなくらい辛いことを経験してきた。

 

胸が押しつぶされるような孤独も経験した。

 

だから、大丈夫だと信じよう。

 

自分の足は、自分で動かさなければ動かない。

 

一度きりの人生を、どう生きたいか、見失わないようにいないと、何にもできずに、あっという間におばあさんになってしまいそうだから。

人生をやり直してみたいとおもったり、、

こんにちは。

 

みなさんは、今というこの時を、どんなふうに、どんな気持ちで生きていますか?

 

私は時々、小学校や中学の頃が恋しくなります。

 

今までできた友達とはみんな、疎遠になってしまって、会うことも、近況を知ることもできないけど。

 

なんか、普通に同窓会とか行って、昔の同級生と昔話や、近況とか、楽しく話せるって、羨ましいなぁって、ふと思ってしまいました。

 

ただ私には、幸せなことに、1人だけ、とても大切ななんでも話せる友達がいます。

 

それでも、こんなこと思ってしまうのは、贅沢なことなのでしょうか。

 

もしも、また人生をやり直せるなら、もっとたくさん友達と話したい。

 

気になる男の子とかとも、付き合ったりしてみたい。

 

勉強よりも、たくさん青春したい。

 

こんなこと思ったって、意味ないってわかってる。

 

過去は過去で、もう過ぎ去ったこと。

 

過去を嘆くより、今を生きるべきってね。

 

今私が過去に対して思ってること、同じように、未来の自分が、今の私をみて、

 

もっと今を楽しんで、生きれば良かったって、思うかもしれないんだ。

 

私は20歳の時から、数年間、鬱のようになって、精神的に不安定なことがよくあった。

 

最近になってやっと、不安定さがなくなって、趣味だった、読書、勉強もできるようになった。

 

ここ数年は、いかに自分に無理をさせないで、心を回復させることを第一に考えてきた。

 

チャレンジすることは怖いし、新しい友達を作ることも、私にとって簡単じゃない。

 

だけど、この人生が終わる時、後悔するだろうか。

 

このまま、本当に自分がやってみたいことをせずに、本当になりたい自分になろうとせずに、自分の本当の気持ちに蓋をして、人生をあきらめてしまったとしたら、

 

後悔するのかな。

 

だけど、今の私にはそれほどの心のエネルギーは、ない。

 

なんかまとまりのないブログになってしまった。

 

ただなんとなく感じてることを書いてみました。

 

これから、何かチャレンジしてみるか、何もしないでいるかはわからないけど、

 

またブログ書いていくので、よろしければ読んでみてくださいm(_ _)m

 

 

他人の欠点が気になった時には、、

みなさん、こんにちは!

 

ひさびさの投稿です。

 

最近は、ブログを書いては下書きにためて、、の繰り返しで下書きばっかりたまってしまってました、、笑

 

ふと考えたことがあり、今日は最後まで書き切って、投稿できたらいいなって思います。

 

みなさんは、他人の欠点が気になることはありますか?

 

私は、けっこう完璧主義なところがあって、好きになった人とか恋人、友達には、とても厳しい目でみてしまうところがあります、、

 

今ではだいぶ改善してきましたが。。

 

ひとつ何か悪いところが見つかると、この人はだめだっていうふうに思ってしまうんです。

 

例えば、ちょっと話を盛ったり、嘘をついたりすると、「あ、もうこの人は信用できない。だめだ」

 

となってしまいます。

 

嘘はよくありませんが、いざ自分のことを振り返ってみると、自分もそんなによく考えて話していないことに気づきました。

 

わざとじゃなくても、嘘を言ってしまうこともありました。

 

言いたくないことを少し隠したり、変えたりして、話してしまうこともありました。

 

何が言いたいかというと、、

 

相手の欠点に憤慨した時、

 

自分はどうなのかと考えたら、もっと人に寛容になれるんじゃないかと思ったんです。

 

自分も完璧じゃない。

 

相手も完璧じゃない。

 

だったら、そんなに小さなことで悩むのはやめようか。

 

誰だって、間違いは犯すし、失敗する。

綺麗なばっかりじゃない。

 

それなら、悪いところより、いいところをみれるようになりたい。

 

悪い面は、良い面の裏返しともいうように、

 

悪いことがなければ、良いこともないのだ。

 

良いところだけ受け取るなんて、都合のいいことは、ないのではないか。

 

自分だって完璧じゃないんだから、人にも寛容になれたらいいな、、

 

そんなことをふと思いました(*´꒳`*)

自分に優しく、人に優しく。

自分をまずは大切に、誰よりも先に、自分を大事に、幸せにしてあげること。

 

少し前までの私は、とても心に余裕がなくて、人間関係、特に恋愛関係で、辛い思いをしながらも、恋人や好きな人に執着していた。

 

毎日泣いてるような日々を送っていても、何が悪いのかわからずに、ただひたすら、人に、愛を求めていた。

 

ものすごく愛に飢えていたんです。

 

恋人がいないと、生きていけない。

 

本気でそう思っていました。

 

よく、いろんなところで、愛されたければ、まずは自分を愛してあげること、みたいな言葉を目にします。

 

こんなに辛いのに、なんで誰かに愛を求めちゃいけないのか、、

 

自分で自分を愛するって、一体どうすればいいのか。

 

そう思っていました。

 

でも、自分を愛する、大切にしていったら、見える世界が少しずつ、変わってきました。

 

自分を愛するとは、

 

自分を大切にしてくれない人から離れること。

 

自分の好きな食べ物を作ってあげる(買ってあげる)こと。

 

自分の好きな音楽を聞いて、好きなことをして、好きなところに行くこと。

 

無理に笑わないこと。

 

嫌なことをしてくる人に、媚びないこと。

 

疲れた時は休むこと。

 

無理して、自分を犠牲にして、人のために何かしないこと。

 

このままの自分でいいんだと言ってあげること。

 

そういうことなのかなと思うんです。

 

そんな小さなことを積み重ねていくことで、大きな変化を生むことができる。

 

自分が気づかないくらい少しずつ、心に余裕ができてきて、その間にも自分を最優先にすることを忘れずにいれば、どんどん心に余裕ができてくる。

 

そうしたら、そのできた余裕で、自然と人に優しくできる。

 

見えなかったものが見えるようになってくる。

 

周りの人が、自分に親切にしてくれていたこと。

 

そう気づいて初めて、心から、お返しをしたいと思うようになる。

 

しかし、親切に気づいてお返しをしたいと思っても、自分に余裕がないなら、お返しをする時ではないのかもしれない。

 

自分を犠牲にして、人にしてあげたことは、親切な押し売りになりやすいからだ。

 

自分はこんなにやってあげたのに、なんで、お返しがないんだ!!って。

 

そんなの、他人からしたら、迷惑だよね。

 

だけど、なるべく人にしてもらったことは、お返しできるようにしたいと思っています。

 

なので、人に親切にしてもらったことは、忘れないようにメモしておいて、余裕のある時にお返しできたらいいなって。

 

例えば、

 

奢ってもらったら、今度ごはん作ってあげようとか。

 

仕事を教えてもらったら、お礼は必ず言って、なにかできることを探すとか。

 

人が自分のためにしてくれたことに、ちゃんと気づくために、自分の心の余裕を作っておくこと。

 

それは、自分を大切に、最優先にして、労わってあげること。

 

本当に少しずつでも、自分の心を愛で満たせたらいいですよね。

 

 

 

人と比べるのに、意味はない。

人は、なぜか他人と比べたがる。

 

なぜだろう?

 

人間が進化していくのに、人と比べて、もっと他の人よりも、、もっと他よりも高みを目指していくことを本能的に組み込まれることによって、人間が進化するという生物学的な考察を述べてみたけど、、、

(あくまで私の勝手な妄想です)

 

今、地球上で、人間に優る生物はいないだろう。

 

そんな中で、人間は「生き延びる」という生物にとって究極の目的が保証されたような中で、生きる意味を探すようになったのではないか。

 

生きる意味。

 

そんなものないんじゃないか。

 

自分が幸せなら、それでいい。

 

自分がいいと思えば、なんでもいいのだ。

 

なぜなら、この人生は自分のものだから。

 

誰かと比べて、自分は下だとか、上だとか、そんなことに意味はない。

 

他人は他人で、自分とは別の道を歩いているのだから。

 

あの人より、給料が低い。

 

あの人より、美人じゃない。

 

あの人より、恵まれた家庭じゃない。

 

あの人より、学歴が低い。

 

あの人より、幸せじゃない。

 

あの人より、価値が低いんじゃないか、、

 

そんなこと思っても仕方ないじゃない!

 

あなたはあなた。

 

私は私。

 

全く別の人生。

 

全てが違って、比べることなんてできない。

 

そんなことで、今ある素敵な幸せなことを見失ってしまっていいの?

 

今日食べた、おいしい肉まんのこと。

 

来週の友人とのお出かけ。

 

お気に入りの本。

 

自分の好きなところ。

 

もしなにか自分に納得がいかないことがあって、変わりたいと思うなら、今から行動すればいいだけのこと。

 

たったそれだけのこと。

 

もちろん今の自分で満足しているなら、そのままで幸せなことだ。

 

長い人生、時には休むことも必要だよね。

 

そんなに急いでは、今ある景色をしっかり見ることができないでしょう。

 

 

 

スマホの写真を遡ってみたら、、、

スマホの写真って、ことあるごとに撮るけど、あまり見返すことがなかったんですけど、

 

ふと今遡って、ぼーっとみてみたら、

 

いろんなこと思い出して、なんか切ないような、あたたかいような、悲しいような、そんなよくわからない気持ちになりました。笑

 

今まで、幸せになりたい、この辛い状況から抜け出したいという一心で、駆け抜けるように生きてきました。

 

けど、そんな中でも、たしかに楽しいこととか、嬉しいことはあるんだなぁって。

 

その時はそんなに意識していなかったけど、辛さに心が支配されて、日常の幸せに気づけていなかったなって。

 

今もきっと、あとから見返せば幸せだなぁと思うことがたくさんあるはず。

 

それを後になってから実感するんじゃなくて、今幸せなんだと気づいて、幸せを思い切り感じながら、生きていきたいな。

 

そんなことをふと思いました。(о´∀`о)